インタラクティブ・アートが持つゲーム性

参加できるという、ゲーム性

インタラクティブ・アートという現代技術の一旦である科学を取り入れた、未来的な美術様式となっているわけだが、その特徴となっているのは鑑賞者が作品に対して積極的に干渉できるという点で、これまで当然のように扱われていた芸術作品の神秘性とは異質のものとなっている。本来芸術作品、音楽は別としても彫刻や絵画といった美術系の作品に対しては、鑑賞者は俯瞰するだけに留まっている。そこへ触れる事は許されず、また見るにしても距離を持ってして接する事が取り決められている。ルーブル美術館のような稀代の名芸術家達が遺した作品たちが展示されているところであれば、それこそ厳重とまでに警戒しなければならない。さもなければ盗難被害にあってしまうからだ、時価で計り知る事のできない価値があるからこそ、芸術行為によって生み出された賜物に対して人は経緯を払わなければならない。そこに感情を投入することはできても、作品の世界観にそれぞれの意思をもってして参加することなど持って他だ。そういわれれば先に紹介したコーロ、そしてPureΦといった作品が異物とも取れるが、立派な芸術作品として認められているのもこのインタラクティブ・アートというジャンルが台頭してこそ可能となっている。

確かに芸術作品に対して相互作用は必ず起こってはいる、だが現代以前に創造された芸術作品には込められた思いと世界観は、作者にしかその本質を語ることは出来ない。そういう意味では鑑賞者はただ見ているだけの、他者でしかない事実を思い知る。どのような感情を持ってしても、作品にどのような感情が込められ、そしてどういった背景を元にして創造するに至ったのか、創造過程の中で作者はどのような心理になっていたのか、結局のところ誰がどのように語っても真理に辿り着くことはないのだ。

そうした中でインタラクティブ・アートは相互作用を顕著に示しており、また鑑賞者がこぞって参加できる主体性を伴っていることから、本質はどうあれ作品に対して思いを馳せることが出来る。そこに感じる思惑は一人ずつ異なり、また感じ取る何かも別ものだ。とある専門家曰く、インタラクティブ・アートとは幾重にも人から受ける影響をもってして進化する芸術である、そう述べているところを見ると頷ける。こうした意味で、インタラクティブ・アートが内包している性質を、ゲームのようだと見ることが出来る。

自由な意思で介入することで、より違う作品へと生まれ変わる

鑑賞者が意思や思想、人種といったものに関係なく参加することが出来るのはどの芸術作品にも共通している、しかし作品から受ける影響もまた異なっているのもこのジャンルが持つゲーム性によってより強く感じるところだ。他の芸術作品とは違って神秘性を有していながらも、そこへ鑑賞者が自由に参加できる特性を持っていなければ、このジャンルはそもそも成り立たない仕組みとなってしまっている。一見すると不完全なようにも受け取れるが、そんな歪なところが逆に魅力的だともいえる。

完全なものに恋焦がれる、また完全でなければ意味がないと、そう感じる人もいると思うが、完全を追い求めるということは芸術家として死を意味しているだろう。極みに辿り着くことこそ悲願であるのは否定しない、だが完全になってしまえばそこで成長は停止して、残された道筋は衰退しかない。神が人を作り出すときもそんなまだ不完全さをあえて残したからこそ、人は成長する喜びを知ることが出来る。芸術作品にしてもそうだ、名曲・または名画や名作などと揶揄される作品全てにおいて一寸の隙間もないものは存在しないだろう。ここでいうなら音楽などは良い参考例といえる、演奏する音楽家、または音楽家によって音の種類はまるで違う。その音色の一つ一つから物語る世界観こそ共通しているが、感受性の違いによって楽曲は幾重にも性質を変容させることが出来る、環境適応能力の高さは尋常ではない。さしずめカメレオンといったところだろう、何種類もの色を使い分けることが出来るからこそ、芸術はその理想と作品の完成度を高められるのだ。完璧主義によって作られた芸術作品こそつまらない、だからこそあえて欠点を残すことでその歪さを堪能する要素としているのかもしれない。

インタラクティブ・アートのゲーム性はそんな歪であやふや、そして非常に脆い部分が顕著に表立ってできている部分を指していると述べるべきだろう。


更なる進化を追い求めて

鑑賞者の自由意志から来る参加によってどのようにも化けることが出来るインタラクティブ・アートは、そうしたゲーム性に支えられてどのようにも進化できる。作品としてそうした性質を有しているというのは、ある意味芸術だけではなく、クリエイターとして活動している人すべてが求めている究極且つ、目標となる場所を示しているといえる。主な作成方法となる手段がコンピュータ技術をもってして、作品が生まれるわけだがそこへも自由にオリジナリティ溢れる独自性が誕生して行くのだから、たとえ紙や絵の具といったものを使用しなくても芸術を作り出す性質は変わっていない。

デジタルベースだからといっても、人によって作品に対しての受け取り方が違うのはもちろん、与えられたお題に沿って作成する作品もまた異なってくる。肯定するにしても、否定するにしても、どのような感情を抱くにしてもだ、作品を創造した作者の過程を踏みにじるようなことをしてはいけないのは事実。例え気に入らないとしても、作品として創造されたものを根本的に否定する権利など、誰にもないからだ。音楽であろうと美術であろうと、そのどれにおいても生み出された芸術作品は数多の人間と干渉することによって、更なる進化を遂げる事が出来る。

インタラクティブ・アートの持つ、その優位性は芸術としての分野において異質でこそ在れど、本質的に見ればどのような作品であったとしても尊重しなければならない部分があることを訴えているのかもしれない。余談だが、何もここで贋作や盗作といったこともまた芸術であるというのを認めているわけではないため、そこは追記しておく。